禅台寺の
お寺巡り
本堂
家族葬会場
積翠閣
位牌堂
檀家様方のご位牌が静かに並びます。
いつでもお参りください。
鐘楼
歴代住職墓地
歴史
平岡石見守
禅台寺境内には平岡石見守頼勝の葬られた墓がある。
ここ禅台寺境内の一角に平岡石見守頼勝の葬られた墓がある。石柵で囲った石の基壇の
上に方形の石を置き、五輪塔をのせる。地上からの高さは、総高68cmを測る。平岡石
見守頼勝は、父(溝杭頼俊)とともに諸国を流浪し、小早川秀秋に仕えてその家老となる。
関ヶ原合戦のとき、頼勝は黒田如水(官兵衛)の娘を妻としていたので、如水の子長政と
謀り、西軍に属していた秀秋を東軍に内通させた。これにより秀秋は西軍の陣へ突入し、
東軍の大勝利となった。戦後の論功行賞で頼勝は秀秋より2万石を与えられたが、間も
なく頼勝は譲言にあって再び流浪の身となる。しかし徳川家康はその前功を認めて慶長
9年8月に美濃国内の可児郡などで1万270万石余りを与え、徳野村に屋敷を構えて住
んだ。慶長12年に死去し、禅台寺に葬られた。
禅台寺の
有形文化財と寺宝
可児市指定有形文化財
薬師三尊像
下恵土の薬師堂の仏像で本尊に薬師如来その脇侍として日光菩薩、月光菩薩を置く。
この三体をまとめて薬師三尊像という。
本尊釈迦如来像
禅台寺は法源寺である真禅寺の開山、鈍庵和尚が約700年前に草庵を建てたのが始まりとされる
後に慶長9年(1604)徳野に封ぜられた平岡石見守が開基して菩提寺とした。その後久しく荒廃するが、
元禄2年(1689)真禅寺第10世南栄和尚を招き、元禄7年(1694)哲叟和尚が諸堂を再建する。
さらに近年になり伽藍を一新し、第13世現住職に至る。
臨済宗中興の祖
白隠慧鶴禅師
「だるまさん」で知られる達磨大師は、
お釈迦さまから数えて28代目に教えを継がれインドから中国に禅の教えを伝えた方です。
またこの画を描かれたのは臨済宗中興の祖と称される、
白隠慧鶴「はくいんえかく」禅師(1685~1768)です。
臨済宗は文字や教典を頼らずに仏の心(正法)を師匠から弟子に直接伝えていく事を根本宗旨とし、
我々に本来そなわる事実の自己(仏性)に目覚め、人間として正しく生きることを目指す宗派です。
建武4年(1337)開創の年とする、臨済宗妙心寺派の大本山である妙心寺が当寺の本山です。
京都にあり、山号は正法山(しょうほうざん)と称します。
開山は関山慧玄、開基は花園法皇です。現在では塔頭46ヶ寺、
末寺は日本をはじめ世界各国に約3,400ヶ寺を有しています。